川和高等学校 掲示板

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33 川和高校の変遷
2003/8/23(土)01:21 - モモ - 3282 hit(s)

「地域のトップ校」「川和高校は今」に対するレスなのですが、時間が経っているため、新たにスレッドを立てさせてもらいます。川和高校のレベルや校風は、歴史や地理的状況に大きく左右されていると思います。
創立時は、旧港北区(現緑区・青葉区・都筑区も含む)初の高校ということで、厳しい指導だったようです。小テストと放課後の補習が毎日のように行われ、月に遅刻3回で坊主頭など今では想像がつかない指導だと思います。一方で、当初の入学者は半数近くが神奈川区でした。
昭和50年代には、旧緑区(現青葉区・都筑区を含む)の生徒が過半数を越え、名実ともに地元の高校となります。当時は、戦前からある横浜翠嵐や鶴見と同じ学区でしたが、鶴見と同レベルか鶴見を抜いた、と評されていました。
昭和57年に転機が訪れます。神奈川県の学区が細分化され(9→16学区)、旧緑区は神奈川・鶴見・港北区と別の学区とされました。ここにおいて、旧緑区で最も古い川和は学区トップ校となりました。いわば努力ではなく、与えられたトップ校という位置です。しかし、この学区細分化の意味は大きく、それまで3〜4年に1名という東大合格者が昭和60年以降毎年数名出ることになります。
平成以降のことはわかりませんが、中学受験の過熱によって、公立高校全般の不振という流れに川和も沿っているのではないでしょうか。もともと、神奈川県の中でも川崎と横浜北部は都内私立への志向が高い地域で、その中で川和は健闘しているのではないでしょうか。
卒業生として思うことは、川和の良さは環境です。あの広い敷地は首都圏では稀有ではないでしょうか。川和の卒業生のよさは大らかさにあると思うのですが、あの広大な敷地と何もない周囲と無縁ではないと思います。


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