Page 1138 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼ミッション系の精神的影響について 通行人 04/6/16(水) 22:46 ┣Re:ミッション系の精神的影響について なるほど 04/6/16(水) 23:39 ┃ ┗Re:ミッション系の精神的影響について ミッション系キャリア 04/6/17(木) 7:20 ┣Re:ミッション系の精神的影響について tomo 04/6/17(木) 8:26 ┃ ┗Re:ミッション系の精神的影響について ころ 04/6/17(木) 21:15 ┃ ┗Re:ミッション系の精神的影響について 上海リリィ 04/6/17(木) 21:57 ┃ ┣Re:ミッション系の精神的影響について そもそも 04/6/18(金) 20:22 ┃ ┃ ┗Re:ミッション系の精神的影響について そもそも 04/6/19(土) 12:20 ┃ ┣Re:ミッション系の精神的影響について 通行人 04/6/19(土) 10:25 ┃ ┃ ┗Re:ミッション系の精神的影響について ゆう 04/6/19(土) 15:47 ┃ ┗Re:ミッション系の精神的影響について ??? 04/6/19(土) 13:01 ┣Re:ミッション系の精神的影響について 何をしているかが 04/6/17(木) 9:17 ┣Re:ミッション系の精神的影響について はて?? 04/6/19(土) 12:43 ┃ ┗Re:ミッション系の精神的影響について そもそも 04/6/19(土) 13:02 ┃ ┗Re:ミッション系の精神的影響について 教えて 04/6/19(土) 15:37 ┗Re:ミッション系の精神的影響について 経験談 04/6/19(土) 14:49 ─────────────────────────────────────── ■題名 : ミッション系の精神的影響について ■名前 : 通行人 ■日付 : 04/6/16(水) 22:46 -------------------------------------------------------------------------
戦前は府立高女の地位が圧倒的。 ミッション系は一部ブルジョア層に嗜好されていたがマイノリティであったのではないのでしょうか? それが、敗戦により戦前の教育への反動で占領軍の民主化政策とも相俟ってミッション系人気になったのではないのでしょうか? 従って、都立高校全盛時代に人気のあった私立とは東洋英和(プロテスタント)の兄弟校の麻布。今でもリベラルな校風が売りで根強いファンがおいでになると思います。そういう意味では、麻布も一種隠れキリシタン。 ある年代の方はご存知だと思うのですが、「日進」という進学教室が四谷大塚全盛以前のNo1だった時代があったのですが、中学受験の『御三家』とは日進の校長の造語。作られた当時の女子御三家は『雙葉』『女子学院』そして『東洋英和』だったわけです。 しかし、学生運動の影響もあり、リベラル=自由=進歩的という評価が世上万延した結果、それらの学校以外の開成・桜蔭などの『ノンポリ』系学校の今日の進出へつながったのではないかと思います。 ミッション形の精神的影響がもっと多く現れているのが教養主義ではないかと思います。戦後日本社会においては教養主義とは即ち文学でした。従って『ノンポリ』系学校に比べ文系重視の校風になっているのだと思います。現在も、このスレッドでは校風と理系・文系の強弱の関係については頻繁に議論されていますが学校も生徒を選ぶ一方、生徒も学校を選ぶ結果、平均値、あるいは最頻値で見れば文系・理系の強弱は学校によってあると思います。その主因の一つがミッション系の精神的影響ではないかと思われます。 さらに、それは歴史観にも強く影響しているのではないかと思います。ミッション系のリベラルといわれる校風も考え方によってはそこの歴史観は教条主義的・観念主義的ドグマに陥っているのではないかと思います。 コンドリーザ・ライス国家安全保障担当大統領補佐官(米)に例をとれば、彼女の専門は冷戦構造下における対ソ戦略論。女性だからといって政治・経済的分野に必ずしも不向きだとはいえないのではないでしょうか? しかし、日本における女性の社会進出が遅れている大きな要因にミッション系における精神的影響が大きな頚木になっているように思えてなりません。固定的価値観の束縛ゆえ思考停止になってしまうのではないでしょうか?実社会において女性を観察していてミッション系の女子校出身者が実務において使えない印象を拭い去ることはできません。 そこには自らの価値観に対する頑なさゆえ柔軟な発想ができなくなっている一方、キリスト教的選民思想にもとづく啓蒙意識という他者への優越感があるように思えます。 |
▼通行人さん: >しかし、日本における女性の社会進出が遅れている大きな要因にミッション系における精神的影響が大きな頚木になっているように思えてなりません。固定的価値観の束縛ゆえ思考停止になってしまうのではないでしょうか?実社会において女性を観察していてミッション系の女子校出身者が実務において使えない印象を拭い去ることはできません。 > >そこには自らの価値観に対する頑なさゆえ柔軟な発想ができなくなっている一方、キリスト教的選民思想にもとづく啓蒙意識という他者への優越感があるように思えます。 豊島岡、雙葉のスレを読んだ後に見ると首肯させられるものがありました。 |
ミッション系はむしろしっかりとしたキャリア派が多いと感じています。 |
▼通行人さん: >そこには自らの価値観に対する頑なさゆえ柔軟な発想ができなくなっている一方、キリスト教的選民思想にもとづく啓蒙意識という他者への優越感があるように思えます。 私はミッション系の高校、大学を卒業しました。 卒業後20年たって、キリスト教的なもの(うまく言えないのですが) がいかに自分に深くかかわっているか、また ひそかにそれに支えられていたか、強く感じることが度々あります。 キリスト教は頑なではありませんし、他者を排斥したり、選民思想に基づいたもの ではありません。(旧約の時代はありましたが) キリスト教を支えているのは大きな愛情であって、 それはそのまま、他者を愛する、という一番大切なこと、 キャリアよりもお金よりも大切な、人としての価値観の根幹を成しているように 思われます。 投稿なされた方が、キリスト教をどのように理解なさっているかは存じませんが キリスト教に対する先入観と思いこみが強いご意見のように思います。 ミッション系出身にキャリアが多いとかそのようなことはデータとしては出ていませんし、 もちろん私の出身大学でも世界で活躍する女性はたくさんいます。 どの大学を出ても、結局はその人の嗜好や資質によるものが大きいのではないでしょうか。 それに、イマドキのミッション系は、そんなに宗教を強要するようなことはしません。 私の娘は現在小4ですが、もちろんミッション系を志望しています。 キリスト教に基づいた、愛情あふれる教育を娘にも受けさせたいと思うからです。 |
▼tomoさん: >キリスト教は頑なではありませんし、他者を排斥したり、選民思想に基づいたもの >ではありません。(旧約の時代はありましたが) >キリスト教を支えているのは大きな愛情であって、 >それはそのまま、他者を愛する、という一番大切なこと、 >キャリアよりもお金よりも大切な、人としての価値観の根幹を成しているように >思われます。 >投稿なされた方が、キリスト教をどのように理解なさっているかは存じませんが >キリスト教に対する先入観と思いこみが強いご意見のように思います。 私の両親は2人ともプロテスタントのクリスチャンなので、私も小さい頃からキリスト教的な雰囲気の中で育ちました。なので、カトリックであろうともキリスト教に対して反感や嫌悪感はいっさいないのですが、それでも上記のご意見はいただけません。 旧約の時代にまでさかのぼらなくても、キリスト教徒は十字軍という蛮行を行っていますよね。また、南アメリカ大陸で、カトリックの宣教者たちが原住民に行った布教活動?も無茶苦茶なものです。 相対的に見て、キリスト教が非常に排他的な歴史を持つ宗教である事は否定できないと思います。一神教であればそれは当然の事で、いいつくろう必要はないと思います。 キリスト教の教えが普遍的なものであり、根底に愛があることは確かですが、宗教を教え広め実行するのは人間ですから、歴史においては様々な目をそむけたいような事実があることも忘れてはならないと思います。 スレッドには関係ないかもしれませんが、ちょっと気になりましたので。 生意気ですみません。 |
あなたの言いがかりはちょっと的外れなのでは? そんなことは誰でも知ってることですし。 歴史上の過ちは既にローマ教皇も謝罪されていますし ここで語ることではありません。 歴史的な話はやめてください。 |
スレ主さまのおっしゃりたいことがよくわかりませんが、ミッション系の学校は学校説明会でもまずはじめに「キリスト教の精神」について説明されると思います。そして面接の時にもお話に出ることが多いのではないでしょうか。 カトリックの神父さんは仏教で言うところの出家と同じで、国を離れ、親兄弟から離れ、世界中の何処にでも辞令により配属されてきます。妻帯しておられません。これはシスターも同じで終生独身です。 あくまで私的な見解ですが、結婚したり子どもを持ったりするということは、信仰よりも大切なものが出来てしまう、ということなのではないかと思います。 プロテスタントの牧師さんは、ご結婚されて、ご家族で教会にお住まいだったりします。こちらも求道者の助けになるよう、ご自分たちの財産を投げ打って質素なお暮らしの方が多いようです。 宗教のお話はするのが難しいのですが、ミッションの学校に入れるということは、週に何回か聖書のお勉強をする、ということをよくお考えになった方がいいと思います。 信仰にめざめ、将来神父様になりたい、あるいはシスターになりたい、とお子さんが考えるかもしれません。説明が難しいのですが、カトリックでは司祭やシスターに「なる」というよりはむしろ向こう側から道がつく、という感じ=「お召しだし」と言うようです。(間違っていたらどなたか訂正をお願いします。) 偏差値がちょうど良いから、進学実績がすばらしいから、というだけでなく、そのあたりのところをちゃんと考えたほうがいいと思います。 「学校で聖書の授業があるみたいだけど、信じちゃだめだからね」とか「適当に聞いておけばいい」というのでは学校と家庭の教育がちぐはぐになるのではないでしょうか。 |
補足です。(私的見解です。) 神父さんになりたい、シスターになりたい、という話は極論過ぎたかもしれません。ですが、日曜日も教会に行きたい、洗礼を受けたい、という話になることもあると思います。 保護者会の親用の講座で聖書に触れて、家族で信仰に入る方もいらっしゃいます。 洗礼を受けたから、たちまち明日からお子さんが家の仏壇に手を合わせなくなる、ということはありませんし、法事やお葬式も、相手の宗教を尊重するという考えから普通に出席されるでしょう。 でも、洗礼を受けたら、お正月の初詣や、19歳の厄除けなどに今後積極的に出かけるということはこの先たぶん考えられません。信じているものが違うからです。 宗教が違うご家庭と学校の考えのちぐはぐさへの危惧、というのはこの辺のことも指したつもりです。 学校は「信仰は強制ではありません。」とおっしゃっています。事実そういうことはしないでしょうし、人は何かを無理やり信じることはできません。 ですが、お子さんがそういう話をしたからといって、洗脳だの何だのというのは間違いです。だってそういう学校を選んで入れたのです。 聖書の教えを根本としています、と何度も学校は言っています。 偏差値表をみてください。雙葉も白百合も女子学院も光塩もラ・サールもサレジオも栄光も聖光も立教も青学もみんな、キリスト教の学校なのです。 合わない、いやだ、という方はご一考されるべきだと思いますが、いかがでしょう。(信者でない方を排斥する意図ではございません。) 偏差値表の上位にたくさんミッションが並ぶのは、聖書の教えをお知りになりたい方はどうぞいつでもおいでください、こういう教育をしています、と広く門戸を開いた結果、その教育に人気が出て偏差値が上昇した、ということではないかと思います。 ちなみにプログレスという英語の教科書も、英語圏でない国の人のためにフリン神父が作ったものです。 ミッション系で使っているうちに、その進学実績を見てよそでも採用するようになり、有名になりました。 なんだか取り留めのない話になりました。偏差値、あるいは進路実績だけをみて その学校の評価を下すことが多いのですが、そもそもの根本をもう一度かんがえてみませんか。これは私自身への自戒もこめています。 別のスレッドに「湘南白百合から専門学校?」というのがあるようですが、そもそもの根本を間違っておられるような気がしてなりません。 |
▼上海リリィさん: >あなたの言いがかりはちょっと的外れなのでは? >そんなことは誰でも知ってることですし。 >歴史上の過ちは既にローマ教皇も謝罪されていますし >ここで語ることではありません。 >歴史的な話はやめてください。 カトリック系ではバチカン(ローマ法王庁)の政策もあり、厳格な規律による進学指導を政策にしておいでかと思います。 従って、日本で一般にカトリック系学校は厳しいと言われています。 これは布教というミッション(使命)があるからで、パレスチナ紛争もユダヤ教徒とイスラム教徒を相憎ませてキリスト教徒が漁夫の利を得ようとしているとまでは申し上げませんが、世界では一神教同士の争いが主流なのは事実。 ある面、無宗教的、多神教的な感覚が多いと思われる日本人の感覚からはズレがあるのではとも思います。 この問題について日本人は精神的に無防備なのではないかとも思いましたので敢えて投稿させていただきました。 |
▼通行人さん: >これは布教というミッション(使命)があるからで、パレスチナ紛争もユダヤ教徒とイスラム教徒を相憎ませてキリスト教徒が漁夫の利を得ようとしているとまでは申し上げませんが、世界では一神教同士の争いが主流なのは事実。 >ある面、無宗教的、多神教的な感覚が多いと思われる日本人の感覚からはズレがあるのではとも思います。 > >この問題について日本人は精神的に無防備なのではないかとも思いましたので敢えて投稿させていただきました。 私は埼玉県のカトリックの女子校出身です。昨年中学も新設されたことから ここでも母校の話題をちらほらと見かけます。 カトリック=厳しいと画一的にお考えなのはどうかと思います。 私の母校は修道院も敷地内にあるような学校でしたが、 けっして厳しい宗教教育はありませんでしたし、 宗教を押しつけるようなことはありませんでした。 もちろん毎日、校内放送でお祈りの時間があったり、クリスマスに礼拝などを行ったりも していましたが、特に熱心にさまざまな儀式?を強要されることもなく 校則も厳しくなく、自主性に任されることが多かったです。 投稿なさった方の意図、それを意見として主張することに 何の意義があるのか、私には理解できませんが カトリックでもプロテスタントでも仏教でも、無宗教の進学校でも 校則やしめつけの厳しいところは厳しいですし、 宗教というバックボーンがあっても、 自主性を重んじる自由な校風のところは多々あります。 ご自分の宗教に対する知識を披露したいのでしょうか? でも、机上の空論では、誰も頷く人はおられないと思います。 |
▼上海リリィさん: >あなたの言いがかりはちょっと的外れなのでは? >そんなことは誰でも知ってることですし。 >歴史上の過ちは既にローマ教皇も謝罪されていますし >ここで語ることではありません。 >歴史的な話はやめてください。 |
子供には理念など関係なく、立派な行いをする人がいるところに通わせたいものですが。。。 他人の為に何かをするという事において(特に草の根レベルの活動において)、行動を起こし、常に活動しているという点で、日本の仏教その他は戦後キリスト教に大きく水をあけられてしまった感があります。宗教人でありながら私事に莫大なお金を使ったりする姿をみて、子供に何が大事かを教えるのは大層難しい。日曜学校等、子供に大切な事を伝えようとする大人に接する機会を作っているのは、残念ながらキリスト教以外は大変少ないのが実情です。 私としては、何故全国どこにでもあり、数の上では圧倒的に多いお寺が、子供の為に、困っている人の為に行っている活動が貧弱であるという事実が、本当に不思議です(幼稚園学校経営は別として)。お布施をいただいている余剰があれば、近所の子供の為に、ひいては困っている人たちの為に何かを積極的に行えば、日本の中で圧倒的に数の多いお寺は、大変重要な動きの要となれる。近所に良寛様のように子供を生き物を大切にする方がいらしたら、周りの人はどんなに幸せでしょう。 だから宗教教育がすぐ槍玉にあがったりする今の世の中で、ものの善悪のはっきりした基準を示してくれる、他人の為に動く姿を示せるミッション系は大変貴重だと思います。 |
この話題は、どこかで既に議論されていたような気がしましたので、過去ログを探して見ました。 ミッション系、ライス補佐官、中東政策、この時と同じキーワードのような気がしますが? http://bbs1.inter-edu.com/cgi-bin/bbs2/C3/bbs.cgi?log=&v=22868&e=res&lp=22868&st=80 |
▼はて??さん: >この話題は、どこかで既に議論されていたような気がしましたので、過去ログを探して見ました。 >ミッション系、ライス補佐官、中東政策、この時と同じキーワードのような気がしますが? >http://bbs1.inter-edu.com/cgi-bin/bbs2/C3/bbs.cgi?log=&v=22868&e=res&lp=22868&st=80 拝見しました。時を経て同じ方がおなじスレッドを立てたということでしょうか。 どのような意図で?とは思いますが、私はまじめに回答したつもりです。 読んでくださった方ありがとうございました。「はて??」さんも教えてくださりありがとうございます。 |
確かに元々の教義ではカトリックは離婚や避妊を認めていないなど厳格でしょうが、カトリックの国々はすべてのラテンアメリカ、欧州のラテン系の国々、フランス、スペイン、イタリア、ポルトガルとアイルランドやフィリピンなどでのんびりした国々です。プロテスタントはゲルマン系ですが、特に海を渡ったアメリカの開拓者の子孫は現在でも非常に禁欲的で強固な精神で生活している人が多いです。ユタ、アーミッシュ、KKK等。その矛盾が不思議ですね。 今イスラエル、イラク問題を考えるとき、大昔存在したユダヤの国がなくなりヨーロッパに散ったキリスト教信者にとっては悪者のジューイッシュがゲルマン人にホロコーストされ、戦後西側(キリスト教信者)がキリスト、イスラム、ユダヤ教三つの聖地であるエルサレムにイスラエルを造った。現在のグローバニズムイコールキリスト教(WASP、ネオコン)という図式がある中、西欧型民主主義は一種の布教活動なのでしょうか・・・・ |
高校からミッション系の私立に通ったものです。 週に1度の全校礼拝と、毎朝のクラスルーム礼拝がありました。 さらに一般高校で教わる道徳や倫社の時間をつぶしての聖書教育、クリスマスや新学年の始業式、終業式はみな礼拝形式でした。 そのなかで3年間いても、クリスチャンになる生徒は大変まれで少なかったと思いますが、今思っても聖書教育は、ひとつの教養として受けておいて良かったと感じています。 結婚して、主人の仕事の関係でヨーロッパを訪れることがありました。 イタリアやフランスで美術館を訪れたとき宗教画をみても、ああこれはマリアの受胎告知の場面だ、とかこれはイエスが木に登ってしまった男に、降りてきなさい、と言っているところだとか、ガイドなしでもわかるんですね。最後の晩餐の絵なども背景を知っているのといないのとでは全然見方が違います。 海外に出たときに、文化としてのキリスト教を知っているとやはり人付き合いも便利です。 大学受験を考えると、倫社が削られることはマイナスかな、と思ったりもしますが、それでも私は聖書教育を受けていて良かったと思うし、ミッション系の学校に行って、聖書に引かれ、洗礼を受ける気持ちになる、それも、それで子供の心に生涯にわたる平安がもたらされるなら、ありかな、と思ったりもしています。 思春期に受ける教育、というのはその人の人生を言いにつけ悪いにつけある程度左右します。 キリスト教について、クリスチャンにならないまでも、このくらい好意的にとらえるようになった、という、ちょうど私くらいの変化が、同窓生の平均です。宗教的な部分でご両親が嫌悪感を持ってしまうとしたら、ミッション系の学校は志望からお外しになったほうがいいのでは、と思います。やはり、6年間を通じて、確実に影響を受けますから。 |